アスペルガー症候群

感情喪失

正直言って8歳下の弟を可愛いと思った事はありません。父親にも母親にも愛を感じたことはありません。

祖母や祖父が亡くなった時も、あれほど愛してくれた祖父母だったのに全く悲しくありませんでした。自分を成人してから父親と母親が亡くなった時も涙も流れませんでした。

若い頃はそれは自分が人間として何か重要なものが欠けているのだ。言ってみれば「冷血漢」なのだ思っていました。

それは後天的なものだと思っていた

そしてそうなった理由は、子供の頃、よく泣いたことを、母親から私の名前の下の名前の「丑之助」をもじって「ベソのすけ」と揶揄されたのが嫌で、できるだけ泣かないようにしていたことが癖になり、感情を失ったのだと考えていました。。

しかし、そのような要素があったことは否定できませんが、本当の理由は私が発達障害だったからなのだ。そう、この年になって気づきました。

しかし実は「発達障害」だった

それはうつ病で通っている心療内科で、知能テストをしたところ「広汎性発達障害」だと判定されたからです。

広汎性発達障害とは、「特に決まった症状がないが、心の発達に障害がある」という「病気」です。最近は「自閉症スペクトラム」と呼ばれています。

と言っても、全てが自閉症というわけではありません。それは2つに分かれ、1つが自閉症である「自閉症スペクトラム」と、もう1つがそうではない「アスペルガー症候群」です。

前者の場合はIQが80前後であり知的障害を併発している自閉症です。私には知的障害の症状はありません。従って「アスペルガー症候群」ということです。

アスペルガー症候群を辞書的に言うと「社会性・コミュニケーション・想像力・共感性・イメージすることの障害、こだわりの強さ、感覚の過敏などを特徴とする、自閉症スペクトラムのうち、知能や言語の遅れがないものをいう」ということです。

先天的な「感情喪失」だった

つまり私の「感情喪失」は生まれながらの障害だったのですた。

そうだと分かっていれば、長年、自分には感情がないということで自分をいたずらに責めないで済んだのに、と思います。もっと言えば人の死や不幸を悲嘆したり、肉親がそのようなことになった人に共感したり、同情したりということがないと自分を欠陥人間と思うこともなかったでしょう。

この年になって気の毒な人を気の毒と思うようになった

とは言えやはり後天的なものはあるようです。

アーリーリタイヤをして、妻とゆっくりした時間を持てるようになってから、少しづつ他人の不幸を気の毒にと思ったりする感情が生まれてきました。たとえばニュースで悲惨な死亡事件があると、可哀そうにと思うようになりました。

これは私としてはコペルニクス的大転換です。ということはつまり、感情喪失は全てが先天的なものではなく、やはりよく泣くことを揶揄されて自分の感情を殺すことが癖になった、という後天的な要素も一部にはあるということなのでしょう。

もしもそのような「困っている人」を気の毒に思ったり、そのような人に手を差し伸べない政府に憤ったりする感情が生まれていなければ、貧困女性のための就職支援セミナーや就職あっせんを無料で行うなどという、会社にとって全く利益の上がらないことなど絶対にしなかったでしょう。

人間とは不思議なもので環境や、同居している人間によって、その根本が変容する場合もあるということです。

天才の列の一番後ろ

あと、ちなみにIQですが、自慢めくといけないので書きませんでしたが、気になる人もいるかも知れないし、自分で結構気に入っているので思い切って書いておきます。

IQは131であった。130以上のIQが「天才」なので、「ギリギリ」天才だということになります。

これがIQ150などの人だと堂々と自分は天才だと言えるのかもしれません。

しかしギリギリで、天才の列の一番後ろに並んでいるのがなんだか自分らしくて、結構気に入っています。