民俗学博物館で障害児学校と鉢合わせ

「みんぱく」はほとんど人が行かないが実は素晴らしい博物館

私は大阪に住んでいるのですが、我が家から車で30分ほど行ったところに「国立民族学博物館」があります。

TVの美術番組などで取り上げられることはほとんどありませんが、日本で最初に全世界の民族資料(仮面や祭祀の道具、あるいは日常生活道具など)を集めた、かなり大規模な博物館です。

私は民俗学も好きなのですが民族学にも非常に興味があるので、時々訪れています。広大な展示スペースにぎっちりと展示品があるので、真剣に見ると簡単に1日経ってしまいます。

ここはあの文化人類学の泰斗である梅棹忠雄氏が初代館長を務めた博物館ですから、はっきり言って展示の仕方は、最近の新しい北海道の「ウポポイ」などに比べると古くて、その点については改善点がたくさんあるのですが、しかし展示は大英博物館ほどではないにせよ、民族学に限れば世界の同系統の博物館に少しも遜色がない立派なものです。

障害児、知恵遅れ児が大量に現れる

そこでこの間久しぶりに行ってきました。この間北海道に行って、アイヌ民族の文化についてかなり詳しくなったので、この博物館(一般的には「みんぱく」と呼ばれています)に行って、ここの充実したアイヌ関係の展示と自分たちが仕入れて来た新しい知識を比較検討することと、アイヌ民族の文化が世界的な少数民族のそれとどのように関わっているかを見たい、というのが理由です。

開館が10時なのでぴったりに行き、観覧を始めました。中には私たちのような人類学好きの人がいて、非常にまばらに観覧客はいるのですが、ほとんど無人という感じです。

そこへ大きな騒音が聞こえてきました。

来る途中で同じ駐車場へ「障害児のための養護学校」のバスが2~3台入って来たので、多分公園の方(「みんぱく」は1970年の大阪万博の跡地である広大な公園の中に建っているのです)へ行くのだろうと高をくくっていたところ、彼らもこの「みんぱく」の見学に来たようでした。

私はできるだけ、障害を持っている人や知恵遅れの人、もっと言えば人種の違う人に対してフラットに接したい、フラットに考えたいと思っている人間ですが、一方で美術館でも博物館でも、大声を挙げながら観覧する小中学生たちに関してはいつも閉口しています。

案の定、私が妻と展示について結構本格的な意見交換をしながらじっくり見ていると、あとから彼らがどかどかと入って来ました。

はっきり言って彼らがこの展示を見ても何の価値も感じられないでしょうから(私でさえ本当価値が分かって来たのはこの数年です。初めて来た20代の頃は「面白い」だけしか感じませんでした)、単におしゃべりをしたり奇声をあげたりしながら展示通路に沿って進むだけです。

引率の先生(なのでしょうか)も、人留学の知識など持っていないと見えて、生徒たちに説明するわけでもなく、同時に「自分が生徒たちの喧騒に慣れているから」か、静かにするようにと注意さえしません。

私はそういう公共の場の秩序を乱す行為に対して結構イライラする方なので、よほど引率者に言ってやろうかと思いましたが、これが普通の小中学生なら確実に言っていまっしたが、やはり知恵遅れや障害児の学校なので、言うのを躊躇していました。

それで展示の一角でストップして彼らが通り過ぎるのをひたすら待っていました。彼からは展示を見るどころか、派手な展示の前で記念写真などを取るなど、全く意味のない行動を取りながら通り過ぎていきますが、何せバス3台分ですから、なかなか最後の人間まで行きつかず、かなりの時間待ちました。

彼らに「みんぱく」を見せることに意味があるのか?

そしてやっとまたあたりに静寂が戻ったところで観覧に復帰したわけですが、不本意なのは、というよりもちょっと頭にくるのは、「なぜ障碍者や知恵遅れの子供にこれらの展示を見せる必要があるのか」という点です。

はっきり言って彼らはこの展示の意味が分からないでしょう。それは彼らのせいではありませんが、現実です。ですからこの「みんぱく」に来たことも、世界中の民族資料を見たことも全く記憶に残らないでしょう。

なにせ大人の私でさえ、いろいろな民族のことを(ほかの目的の為ですが)学び、特にアイヌ民族をしっかり学び、更にそこに元から学んでいた日本の「民俗」知識があって、初めて「みんぱく」の展示物の意味と価値が分かるのですから(そういう展示方法の不親切さも「みんぱく」の大きな問題ですが)。

であれば彼らは動物園か、水族館などへ行くべきだったのです。そうすればもっと彼らは感性でいろいろなことを感じ、考え、印象に残ったでしょう。

「障害児、知恵遅れ児」学校に何の目的意識もない

にも関わらずこのような博物館に来ること自体、間違いなのです。多分、学校側としては「人が少なくと、涼しいところ」という程度で「みんぱく」を選んだのでしょう。下見さえしていないに違いありません。

100歩譲って、意図があって「みんぱく」にしたのなら、博物館側と交渉して学芸員を付けてもらい、その人に展示の意味を彼らに分かるように説明してもらうべきでした。そのようなこともせず、彼らがその場所のTPOを守れないと分かっているところに入ってくることは、差別ではなく、非常識であり、秩序崩壊であり、公共の福祉に反することです。

1人の天才のために残りの生徒の時間を奪うのか?

時々美術館に行くとやはり中学生の団体などとかち合い、ほとんどの生徒は絵も見ずにミュージアムショップに走りますが、見ていると、その一団が去った後に、じっくり1枚1枚を見ている女子中学生がいたりします。彼女にとってこの見学は非常に有意義だったでしょうが、残りの生徒にとっては記憶にも残らないことでしょう。

同じように、今回の「障害児、知恵遅れ児」の中にはもしかしたら「山下清」がいたかもしれません。しかしその確率は1/100万以下でしょう。そう考えた時に、たった1人の「芸術的センス」に恵まれた「障害児」のために残りの99万人以上の生徒の貴重な時間が無駄に消費されてしまったとも言えるわけです。

ということで、「みんぱく」は相変わらず非常に面白かったのですが、TPOに即していない団体に観覧を邪魔されてしまった不愉快さと、それ以上に「障害児、知恵遅れ児」のことを本当には考えていない(単に時間つぶししか考えていない)学校側のいい加減さに腹が立った一景でした。